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益田商店会は島根県益田市の益田地区に拠点を置く企業、自営業者の団体です。

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医光寺(いこうじ)

医光寺(いこうじ)
臨済宗東福寺派。
本尊 薬師如来像。
天台宗崇観寺(すうかんじ)の後身。

崇観寺は医光寺の西方にあった古刹で、開山は東福寺の法系、竜門士源(りゅうもんしげん)で聖一国師の法系士顔の嫡子。
貞治2年(1363)斎藤長者の妻、法名直山妙超大姉の本願によって創建され、益田兼弘の保護と援助を受けて栄えました。
寺領は1,500石。

南北朝時代、益田兼見(ますだかねはる)は当寺を尊崇し、「祥兼置文」(よしかねおぶみ)に、崇観寺、万福寺など領内の小庵に至まで退転ないようにと命じています。

その後、勝剛長柔(しょうごうちょうじゅう)の入山、画僧雪舟等楊の来山により繁栄しましたが、益田宗兼(ますだむねかね)が医光寺を現在地に建立し保護を加えましたことから、崇観寺は衰退の一途をたどり、さらに寺堂の焼失によって医光寺と合併しました。
寺領30石。その後、内容・外観ともに整備されましたが、享保14年(1729)大火で延焼。まもなく再建されて今日に至る。

(設置看板より抜粋)
総門



★概要

◆島根県指定文化財  
  指定 昭和34年9月1日

高さ 4m
幅 4.5m

この門は益田氏の拠城七尾城の大手門であったが、関が原の合戦後移築されたもの。
その後、竹田の番匠によって屋根を竜宮造りに改造されました。

医光寺総門は高麗門(こうらいもん)の形式で屋根は切妻(きりづま)造り、本瓦葺き(ほんがわらぶき)、正面の屋根は中央部を高くし、両側を一段低くした段違いの屋根となっている。高麗門は扉筋(とびらすじ)の2本の本柱と背後の2本の控柱(ひかえばしら)からなるが、他に門のごとく本柱、控柱でひとつの屋根を支えるのではなく、本柱通りに妻破風(つまはふ)屋根を架(かけ)、それと直角に控柱通りに一段低い切妻屋根を載せた門で、屋根の平面はΠ形になり近世の城郭の門に用いられた。昭和40年にも修理が行われている。構造、意匠と簡素であるが、本柱、冠木(かぶらぎ)ともに太く、その豪壮な構えは威容であり、戦国末期の高麗門の姿を今にとどめている。

(設置看板より抜粋)
雪舟灰塚


★雪舟灰塚

雪舟を医光寺で荼毘に付した時の塚。

★雪舟

室町時代の禅僧、画僧(1420〜1506)
備中国(岡山県)赤浜(総社市)の生まれ。
幼時、宝福寺で涙のネズミを描いた話が有名。

画聖 雪舟(小田等楊)は禅の戒律を守り、無為自然の素朴な世界をこの益田の地に求めて、遂に永正3年(1506)8月8日、87歳の高齢で、山寺東光寺(現在の大喜庵)にて、一生を終わりました。

医光寺伝によると、寺格において東光寺よりも崇観寺(すうかんじ)【現在の医光寺】が一段と高いので、この地で仮想に附し、記念碑を遺したと伝えられ、これを世に、雪舟の灰塚と称しています。

碑面には「前東福見崇観後東光雪舟楊大禅師」と刻んである。これは雪舟がかつて京都の東福寺にて修行した後に、崇観寺と経て、東光寺を訪れ、生涯を終えたことを意味しています。

飾り気のない清楚な碑のたたずまいは、名利に惑わされない雪舟の姿にふさわしく、御用絵師にみられない自由さとひたすら画境を求めては旅を続ける雪舟の真価がひしひしと伝わってきます。

(設置看板より抜粋)
雪舟庭園


◆概要
国史蹟及び名勝。

広さ 2,198u(666坪)

亀島【写真中央】


医光寺の裏山を利用した西南向きの池泉鑑賞半回遊式の庭園。
雪舟が文明10年ごろ来山し、造園した鶴亀を主体とした武家様式で鶴をかたどった池の中に亀島を浮かべています。
亀の背中には中心石と三尊石をおき、西側の丘にある須弥山石からは枯滝石組を作って、東の枝垂桜(しだれざくら)とバランスをとっています。

(設置看板より抜粋)
お問い合わせ
 島根県益田市染羽町4-29
    電話 0856-22-1668
◆拝観料
 一般 300円・高校生 150円・小中学生 100円
 団体(20名以上)
一般 200円・高校生 100円・小中学生 50円

◆受付け時間 (年中無休)
  夏季 8:30〜17:30
  冬季 8:30〜17:00
◆駐車場
  大型バス 4台・普通者 20台

バナースペース

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